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江戸後期、日本は世界一の識字率を誇った!「寺子屋」が果たした大きな役割

有名中学入試問題で発見する「江戸時代の日本」④渋谷教育学園幕張中学校〈前編〉

■寺子屋は入学時、自前の机を持参して預け置く

 

 では寺子屋の様子を覗いて見ましょう。まずは入学の様子から。

 寺子屋は入学試験はありません。基本的にはいつでも入学できるのですが、「一般的な入学日」というものが当時ありました。毎年同じ日で、「7歳の2月の最初の午の日」です。この日は稲荷神社の「初午祭(はつうまさい)」の日。江戸では各町に稲荷神社が必ずあり、多いと1町に2~3社あります。

 この初午の日は「鮗(このしろ。子代とも。出世魚で、コハダのこと)」を供える習わしで、「子の代(しろ)」に通じるとして親は子供の成長を祈ります。そこから「入学に適した日」とされたようです。これが幕末になると「6歳の6月6日」が一般的になっていきます。

 寺子屋に入るのを「寺入り、寺上がり」と言いました。徳川家康や武田信玄などもそうですが、戦国時代までは幼少期に「寺に上がって勉学を習う」のが普通でした。

 幼少期の徳川家康が勉学し、「落書きした机」などが残っていますね。江戸時代の寺子屋は、その名残といえるでしょう。

 さて、入学する子供は親に買って貰った文机ふづくえ (手習机)を寺子屋に持参し、のちに寺子屋を辞めるまでの間、ずっとそこに置いてきます。登校したら自分の机を引っ張り出し、帰宅時に積んで戻すわけです。

 この文机に関し、面白い話が残っています。

 洒落本や黄表紙で有名な戯作者・浮世絵師の山東京伝は物持ちが良く、「寺入り時の文机を大人になっても捨てずにいた」ため、死後、弟がお寺に納めたのです。もしかしたらずっと使っていたのかも!?

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瀧島 有

たきしま あり

江戸文化歴史研究家

江戸文化歴史研究家。学校や教科書が教えない、江戸の町の武家・庶民の真実の姿、風俗や文化、食べ物などを研究する傍ら、江戸文化勉強会「平成江戸幕府」を主宰。フェリス女学院大学、内閣府クールジャパン・アドバイザリーボード・メンバーなどを経て、法政大学文学部史学科に在学中。著書に『あり先生の名門中学入試問題から読み解く江戸時代』など。


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  • 2015.11.01